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열상고전연구회 열상고전연구 열상고전연구 제43호
발행연도
2015.2
수록면
85 - 113 (29page)
DOI
10.15859/yscs..43.201502.85

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円仁は、9世紀に活躍した日本人の僧侶である。彼は、仏法を学ぶため唐に渡り、9年間滞在した。その間、彼は旅行記を書き続けたが、それが、『入唐求法巡礼行記』と呼ばれる書物である。同書の中には、当時、唐で暮らしていた新羅の人々について多くのことが記録されている。特に注目されるのは、その在唐新羅人たちが円仁に対して非常に親切であったということである。なぜ、在唐新羅人たちは円仁に対して協力的であったのだろうか。その最大の理由は、在唐新羅人たちのリーダーである張保皐が、円仁を援助したからである。円仁は、張保皐が赤山の地に創建した寺院に寄宿することが許され、そこで多くの助けを得ることができた。『入唐求法巡礼行記』に描かれた在唐新羅人たちは、貿易活動を通して、日本とたいへん密接な関係にあったことがわかる。その上、彼らは、国籍や身分というものに囚われない集団であったことも窺われる。それゆえ、彼らは円仁を援助し、円仁も彼らに深く感謝した。円仁の伝記によれば、彼は帰国後に赤山の神のために一つの寺院を建立したという。しかし、9世紀に書かれた円仁自身の旅行記と10世紀に書かれた円仁の伝記の間には、明らかな相違が見られる。赤山の神は、異国の神から日本の守護神へと変容しているのである。この赤山神の変化は、9世紀から10世紀にかけて、大きな外交的な、また文化的な転換が日本で生じたことを意味するものと考えられる。そして、円仁の生きた9世紀以降、日本は急速に自閉性と自国主義を深めていくようになる。円仁と張保皐の時代は、東アジア的共同体の最後の輝きであったとも言えるだろう。

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