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동아시아일본학회 일본문화연구 일본문화연구 제9집
발행연도
2003.10
수록면
99 - 117 (19page)

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朱子學は前近代の東アジアで普遍思想であった。しかし近現代以來日本の先行硏究では普遍性より日本的特殊性を强調する硏究傾向が頭著であった。特に津田左右吉の
硏究とその學說は、今もなお大きな影響を及ぼしている。そこで本稿では日本儒學者の一生を自敍傳を通じて考?してみた。近世日本社會で正統朱子學を體認しようと格
したといわれる闇齊派がある。その闇齊學派の一人に仙台藩出身の遊佐木齊がい
る。闇齊門下で朱子學と日本神道を學習した木齊カ可山台藩で果たした役割は領主伊達
家の政治的な正統性を確立する歷史編纂事業を推進した功績である。編纂事業の成功
は木齊の身分上昇につながり、思想家として自負できる背景でもあった。
しかし木齊の信奉した闇齊學は仙台藩で政治的な有效性を獲得できずに孤立を余儀
なくされた。特に學問の深化と共に當代社會との葛藤が先悅化されたことは注目に値
する。一方仙台藩の高位家臣らが集まった神道門下の隆盛は闇齊學派としての遊佐木
齊の思想をあらわすもうひとつの特徵であった。儒學の挫折と對照的だった神道隆盛
の背景には仙台藩政を牽制する政治勢力をささえる批判精神があった。つまり神道講
釋や秘傳傳授といった神道思想を媒介として木齊は理想社會の構想に燃えたわけであ
る。その過程で木齊が經驗した凄まじい儒學弟子らの挫折と、一般非常を越える養子
家督の交代劇は、近世日本の儒學者の生活史でも珍しい事例であった。

목차

서론

본론

결론



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