메뉴 건너뛰기
.. 내서재 .. 알림
소속 기관/학교 인증
인증하면 논문, 학술자료 등을  무료로 열람할 수 있어요.
한국대학교, 누리자동차, 시립도서관 등 나의 기관을 확인해보세요
(국내 대학 90% 이상 구독 중)
로그인 회원가입 고객센터 ENG
주제분류

추천
검색
질문

논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
저널정보
대한일어일문학회 일어일문학 일어일문학 제24권
발행연도
2004.11
수록면
157 - 169 (13page)

이용수

표지
📌
연구주제
📖
연구배경
🔬
연구방법
🏆
연구결과
AI에게 요청하기
추천
검색
질문

초록· 키워드

오류제보하기
 私は大江健三郞の87年作『懷かしい年への手紙』をそれ以降の大江文學を特徵づける自己言及性を顯著に示している作品と見る. 自己言及は大江文學に限らず私小說作家のテクストにおいてもすでにその例は見られるが, 大江の自己言及は次の2点において「私」を書く旣存の作家とは異なる(本稿で葛西善藏と宇野浩二2人の私小說作家を取り上げてその相違点を具?的に考察した. その一つは一人稱の語り手によるモノロ―グ的自己言及ではなく, 樣樣な他者の聲が行き來するポリフォニ―の樣相を帶びている点であり, 今一つは「私」と對立する作中人物が批判者であれ理解者であれ書物からの引用に卓越な人物であり, 彼らによって引用される書物の內容が「私」と「私」の作品に對する解釋と批判となっている点である. 私は80年代後半以降大江がつくり出すこのようなメタフィクションの世界を新しい文學の可能性, つまり〈自己言及文學〉の可能性として捉えている. 一般に自己言及システムはその環境世界とは循環的に閉じられているシステムであるように, 他者へ向かって自己を差異化ㆍ異化しようとしても結局のところ自己へ還元してしまう閉鎖性を示す. しかし大江の自己言及はこのようなパラドックスの円輪を描いてはいない. 本稿近年作『憂い顔の童子』を中心に大江の自己言及がいかに行われているのか, その實態と特徵を確認し, 80年代後半以降の大江文學を〈自己言及文學〉として讀む理由を「古義人」(デカルトのコギトを想起させる)という名前と大江の「私」に對する態度を通して說明し, 大江の「私」探求の文學という新しいメタフィクションの可能性を示したものである.

목차

<要 旨>

1. 문제제기

2.「私」를 쓰는 작가의 자기모순

3. 내포된 비평자, 혹은「古義人」고기토 평전

4.「古義人」고기토 = 「私」에 대한 태도

5. 새로운 메타픽션

참고문헌

참고문헌 (0)

참고문헌 신청

함께 읽어보면 좋을 논문

논문 유사도에 따라 DBpia 가 추천하는 논문입니다. 함께 보면 좋을 연관 논문을 확인해보세요!

이 논문의 저자 정보

최근 본 자료

전체보기

댓글(0)

0

UCI(KEPA) : I410-ECN-0101-2009-730-014519964