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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
鄭孝雲 (동의대학교)
저널정보
대한일어일문학회 일어일문학 日語日文學 第51輯
발행연도
2011.8
수록면
285 - 300 (16page)

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本稿では‘韓日歷史?點’の一つである‘年?の使用’問題について?討してみた。年?というのは政治的な意味をもつものであり、?王を中心として創られたものであるから年?を使用とするのは王?の?威を?外に表すものであるといえる。?って年?の使用がその?の?自性を表す意味も持っているが、一方では中?中心の世界からの離?を意味するものであると思う。周知の通り古代東アジア世界の秩序は中?を中心として構成されており、古代の韓?と日本が中?の文化の影響が多かったのは否定的できないだろう。
古代の日本は年?において?自性をもっていると主張することも可能であるが、?密な意味からみると、もともと中?の制度であるので制度の模倣を?自性を解?するのは論理的にあわない。むしろ年?制を使わないのが?自性であるといえる。また、年?の使用が日本の?自的な政治力量によるものではなく、海?によって隔てられた地政?的な要素によるものであり、中?との?抗や?いによって勝ち取った結果ではない。それだけではなく東アジア世界で中?が文化の中心になっている時期において?自的な年?の使用を主張するものであれば、相手の中?の認定がなければならないが、中?がこれを認めた例は見られない。?って、中?の立場からみれば日本の年?は結局、私年?ないし?年?に過ぎなかったと言えるだろう。
それにも?わらず、今日において?少年を?育する?史?科書でこのような主張をする理由はなにか。?史の解?において自民族の文化の優秀性を知らせたり、?育しようとする立場や努力についてこれを批判したり貶めたりする必要はないと思われる。しかし、他民族の文化の卑下や差別のための解?と?育であるとすれと、今日のような共存の時代においての?史認識としては低級な主張であると言うしかない。?史とは相互の理解が必要な部分もあるので、一方的、自?中心的な主張や論理は互いに葛藤を招くだけである。
《新編新しい?史?科書》の主張は?前の天皇制と大日本帝?の陰であると考えられる。年?の?自性の主張もその一つの例であろう。この?史?は?態が否定された?前の?史?を引くものである。今日の?史認識と乖離がある?史?であり、?育?であると言える。近代?民?家的な?点から古代の?史を解?し、それを通じて他民族について優越意識をもとめようとする方便として利用しようとする前時代的な?史?育は?算去れなければならないだろう。今日において世界の大部分の?家が西?を使っている。しかし、日本だけいまだ年?を使っている。これが日本式の?自性であるかどうかは考えてみる必要があるだろう。これは今後の二十一世紀の共存の時代において日本の舵を取る未?世代の?史認識の形成にもよい影響を及ぼすことができないだろうと思われる。

목차

〈要旨〉
1. 서론
2. 선행연구와 고대 한국 삼국의 연호
3. 고대 일본의 연호와 기년법
4. 일본 연호 사용과 일본역사교과서
5. 결론
참고문헌

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