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학술저널
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저널정보
세계문학비교학회 세계문학비교연구 세계문학비교연구 제45호
발행연도
2013.1
수록면
51 - 74 (24page)

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この研究は、日帝時代の植民地朝鮮に共存した朝鮮人と日本人が『万葉集』をどのように受容したかについて考察したものである。太平洋戦争期の朝鮮に『万葉集』を紹介した記事の中で、最も本格的な荻原浅男の「萬葉名歌の解釈と鑑賞」と岸曙(金億)の「萬葉集鈔譯」を比較し検討した。在朝鮮日本人を対象にした「萬葉名歌の解釈と鑑賞」は、「天皇から庶民まで」という万葉観や防人歌を強調していた内地の古典教育とは異なり、天皇との関係を強調する側面が際立っていた。すなわち、「外地」である植民地で彼らが『万葉集』に求めたのは、真の日本人としてのアイデンティティであり、内鮮一体を主導していくという使命の確認であったといえる。朝鮮人を対象とした岸曙の「萬葉集鈔譯」では、忠君愛国の精神よりは男女間の恋や家族愛、自然の風景を描いた歌を主に紹介している点が注目された。これは日本的な情緒を内面化させ、自分の起源を忘却させるもう一つの内鮮一体の手順として理解できる。さらに、翻訳された形式が兩章時調形である点から、韓国の詩歌の伝統が和歌形式の干渉によって解体されていく過程を読み取ることができた。時調が和歌に近い形に変形され、伝統的リズムとレトリックに日本的情緒を収めたという点は、両国の文学の伝統が交錯していることを示している。植民地朝鮮の社会を構成した朝鮮人と日本人は、総督政治の下で均質化された一つの国民として規定され、皇民として帝国に動員されたが、『万葉集』の収容の違いから、両方のグループがそれぞれ別の方法で呼び出されていたことが分かる。完全に融和することのできない二つの国民が入り混じって共存した空間が植民地朝鮮なのである。両国の文学の伝統が交錯して行ったところは、その紛然さの反映であり、支配文学の影響の中に包摂されていく植民地文学の肖像であるといえよう。

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