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한국일본사상사학회 日本思想 日本思想 제11호
발행연도
2006.1
수록면
219 - 264 (46page)

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吉田神道の教学思想に関する試論 本稿は吉田兼倶の神道著書を土台に吉田神道の教学思想を検討したものである。日本神道の教学思想は、神社神道を中心に発展した伊勢神道、神仏習合による両部神道の本地垂迹説を先駆とする。このような本地垂迹説と神社神道の特徴を巧みに組み合わせた吉田神道は自国中心の反本地垂迹説を代表する神国思想として表象されてきた。特に神道は万法の根本であり、儒教は枝葉、仏教は華実という神道根本論は、インドは果実、中国は枝葉、日本は根本という国家イデオロギーとして拡大解釈されながら近世日本社会へ広まった。近世儒家神道を学習してきた筆者が吉田神道に関心を持ち始めた背景もここにある。ところが本稿で検討した如く、神道根本論という国家イデオロギーの実体は、先行研究の表象とは異なり、微弱なものであった。兼倶の教学思想は戦国時代に突入するきっかけとなった応仁の乱の真っ只中で体系化されたものであり、安定と平和な暮らしを願う中世日本人をどうやって救済するかを工夫した宗教思想であった。カミとは人間の心であり、その人の心構えによって無病長寿や福祿除受が成就できるという心法神道を説明するために兼倶は建国神話から神々を招待し、儒教の五行陰陽説を活かして神々の調和を説いた。また両部神道の習合思想を越えることを掲げながら仏教思想である本地垂迹説を借り入れた教学思想であった。唯一宗源神道と強調した吉田神道で唯一とは、卜部家が神話時代の以来継承してきた唯一の神祇職という意味であり、宗源とは儒教と仏教が受容される以前、もっと遡れば原初的な状態で主宰するカミの調和をあらわす形態で体系化された。このように中世日本社会で兼倶が体系化した吉田神道はもっと開かれた宗教であり、教学思想であった。ただ、兼倶の教学思想は兼右と梵舜、近世の兼雄に受け継がれながら自国中心の神国思想が強まった。神道大意の変化から確認した如く、心法神道と十二代神の記述に止めた兼倶の教学思想は、延喜式内の神社鎮座、二十二神社由来、三十番神由来、などが加えられ、やがて 「神道は儒仏の宗であり、万法の源」という神道根本論が聖徳太子に仮託されて主唱されるようになった。しかしそれは近世日本社会で吉田家が十一世紀上代の兼直に仮託した家学でもあった。以上のような仮説を確立するには後続研究が必要であることは勿論である。特に兼倶が講義した 「神代卷」 「中臣祓」に関する研究が必要であり、また中世日本神道史の中で吉田神道が占める歴史的な意義の確認も必要であろう。

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