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단국대학교 일본연구소 日本學硏究 日本學硏究 제29권
발행연도
2010.1
수록면
297 - 319 (23page)

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2009年は、日本にカトリックが入って460周年、プロテスタントは150周年となる年である。その間、日本キリスト教は数多くの殉教者もおり、日本社会に多大な影響を及ぼした人物も多数出している。しかし、現在日本のキリスト教徒の数は100万人程度で、全体の人口の1%にも満たないのが現状である。数値から見られる結果のみで判断すると、日本におけるキリスト教は定着に失敗したとも言える。筆者はその原因が日本人の独得な宗教性にあると思って、このことを日本の代表的なクリスチャン作家である三浦綾子と遠藤周作の作品を通じ確認する。16世紀の初め、一時は80万人とも数えられたカトリックを中心とした日本のキリスト教は、1587年豊臣秀吉の宣教師追放令によって受難の期を迎えるようになる。日本では1587年から明治初期の1873年までの約300年を「キリスト教の時代」とも分類するが、逆説的なことにこの時期は数万人ものキリスト教徒の殉教者が出る等、迫害の時期そのものであった。そしてその厳しい迫害のため、後に世間の関心を呼び起こしたいわゆる「隠れ切支丹」さえ出てきた。一方、1859年明治政府から宗教の自由が許可されることによって、数多くの宣教師が日本に入り、内村鑑三や新渡戸稲造のような影響力あるクリスチャンも出ていた。しかしながら、この時期の日本のキリスト教も天皇制の確立や帝国主義の拡張のため、活性化には失敗してしまった。しかしこのようなことはあくまでも外的な原因に過ぎないものであり、根本的な原因にはなれない。というのは、新しい宗教が入って行く時の抵抗は、どの国においても付き物であるからである。日本キリスト教の停滞においてより根本的原因は汎神論という日本人の宗教観にあると考えなければならないし、それが遠藤の作品などから明確に確認できるのである。元々キリスト教というのは、人が神を尋ねていく宗教ではなく、神の方から人を尋ねてくる宗教である。そのような特徴をよく見せるのが三浦綾子の作品で、彼女の作品殆んどは人間実存の限界として罪のことを取り上げ、神が人の方へ尋ねてきてその人々を救ってくれることを描いている。しかし日本人は三浦の神にはあまり関心を傾けないようである。それとは対比的に、遠藤の「母なる神」には相当の関心を寄せて、「遠藤の神なら信じたい」という人が案外多いと言われる。遠藤の「母なる神」というのは、西洋キリスト教の権威ある「父なる神」とは違って、弱い人間すべてを一方的に抱き込む愛の神でなければならないし、唯一の神ではなく色々な顔を持っている神なのである。このような宗教観のため、「父なる神」であり唯一の神を語る西洋のキリスト教が、日本ではなかなか定着できないのであると思われる。

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