메뉴 건너뛰기
.. 내서재 .. 알림
소속 기관/학교 인증
인증하면 논문, 학술자료 등을  무료로 열람할 수 있어요.
한국대학교, 누리자동차, 시립도서관 등 나의 기관을 확인해보세요
(국내 대학 90% 이상 구독 중)
로그인 회원가입 고객센터 ENG
주제분류

추천
검색

논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
저널정보
한국일본언어문화학회 일본언어문화 일본언어문화 제19호
발행연도
2011.1
수록면
435 - 452 (18page)

이용수

표지
📌
연구주제
📖
연구배경
🔬
연구방법
🏆
연구결과
AI에게 요청하기
추천
검색

초록· 키워드

오류제보하기
本稿では、谷崎潤一郎の『文章読本』を分析哲学が言語そのものを対象にしていることに着目して、音声中心主義理論と分析哲学という二つの西洋哲学の観点から『文章読本』を比較考察してみた。第一に、音声中心主義と『文章読本』との比較考察では、音声中心主義理論が文字の限界性、例えば、音声言語の多様で独特な意味表現の不能の限界などを持っているのに対して、『文章読本』でも言語の、思想に一つの形態を与えてしまう欠点があるという音声中心主義との関連性が発見できた。第二に、分析哲学と『文章読本 との比較であったが、ここでは理想言語と日常言語、そしてウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を各々『文章読本』と比較して考察してみた。まず、理想言語と日常言語との比較であったが、分析哲学では、日常言語が言語としての矛盾を持っているため、理想言語の必要性を主張し、その理想言語の条件として言語の便利性を強調した。それに対して『文章読本』では、口語体の限界性を説明した。またその限界を克服するためには、言語の実用性を強調したが、これは分析哲学の主張する内容と一致するところであった。 最後に、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』と『文章読本』との比較考察であるが、ここでは『論理哲学論考』で言及されている「神秘的」という用語の持っている意味である言語の限界性と関連して考えてみた。何かをそのまま叙述することができない言語の限界性を意味する「神秘的」という用語は、 文章読本 でも、言語と文字には表現できることとできないことがあるので、その限界性を知るべきだというふ風に説明していて、 論理哲学論考 との類似性が発見できた。しかしながら、『文章読本』では一つのことを敷衍して説明していた。それは、そのような言語の限界性は認めるものの、作者はその限界を克服しようとする努力を止めてはいけないということであった。

목차

등록된 정보가 없습니다.

참고문헌 (12)

참고문헌 신청

이 논문의 저자 정보

최근 본 자료

전체보기

댓글(0)

0