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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
저널정보
한국일본언어문화학회 일본언어문화 일본언어문화 제19호
발행연도
2011.1
수록면
377 - 395 (19page)

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1930年代、韓国の最先端のモダニストと呼ばれた朴泰遠(1909-1986)は、朝鮮戦争時の1950年に越北し、亡くなるまで北朝鮮でも最高のスタイリストであった。彼の作品世界は、モダニズムの技法のみでなく、精神的な面においても韓国的モダニティを追求した側面で連続性が見られる。本稿では、朴泰遠の文学的土台の中で今までおろそかにされてきた1930年からの東京留学に注目し、彼の作品世界との関連を考察した。留学最初はソウルと東京とを同一視していた朴泰遠は、雨のなか、アリランを口笛で吹きながら歩いている足が不自由な子供を通じて、帝国日本と植民地朝鮮との隔たりを深く認識する。度日前の小説では「足が不自由な人」は人間の嘘と「虚偽」を比喩する言葉であったが、度日後には、植民地近代という跛行の朝鮮にその象徴性が転覆する。韓国的モダニズム文学への出発点は、関東大震災後、昭和の東京を代表する街である新宿の人間に過酷で冷たい「近代的不良性」の発見であった。彼が留学していた1930年という時期は、モダン文化の拡散と同時に昭和恐慌から生じる経済社会的不安が高まる時期でもあった。このような時空間的、社会的背景も彼が「近代」に対する認識を新たにする主な動力になった。彼は帰国後の1933年から本格的に植民資本主義について批判的な省察を行い、韓国的伝統とモダニティを融合した小説を生み出す。その代表的作品が1934年「小説家仇甫氏の一日」である。作品の中で日本は潜伏していて、たびたび顔を出すが、回想の欠片になって散るだけで、日本の痕跡は植民地朝鮮の京城の厳しい現実に置き換えられる。彼の小説は朝鮮の歪曲された近代化を問題視するようになったのである。

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