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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
(울산대학교)
저널정보
한국일어일문학회 일어일문학연구 일어일문학연구 제69권 제2호
발행연도
수록면
531 - 545 (15page)

이용수

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朝鮮時代の知識人で日本の上巳節のことを記?して?した人はそんなに多くない。その中で丁酉再亂の際、捕虜になって3年くらい抑留生活をした鄭希得や1763年に通信使として行った趙?の一行が直接體驗しながら、そこで聞いたことを少しずつ記錄したのがある。彼らの記錄が?時の日本の3月3日の民俗を理解するのには貧弱だといえ、全く資料的な價値はないとは言えない。それなりに大事な意味を持っている。鄭希得は庶民型の春遊びを見たし、趙?一行は貴族型の花見を經驗した。とりわけ興味深いのは、趙?の3月3日の民俗に?する記?である。趙?たちは日本に行っても、朝鮮でしていた?統民俗を押さえなかった。日本で3月3日を迎えると、彼らは朝鮮の踏靑をそのまま?しんだのである。それを日本人たちが見たのである。朝鮮人は踏靑をしたが、それを見た日本人は踏靑だと思わなかった。彼らはそれを自分の文化槪念で把握し、それを花見だと思った。それで日本人はその場を花見らしい雰圍氣を演ずるために造花まで作って提供した。しかしこうした事情を分かるはずがない朝鮮通信使の一行は、日本の花見を踏靑として受け入れた。それだけ朝鮮の踏靑と日本の花見はあまりにも似ている。このような類似のことで?方とも相手の文化を何の異質感もなく自然に自分の價値體系の中に受け入れたのである。嚴密に言うと踏靑と花見は違う。しかしそれらが自然を對象に?しむ賞春の民俗だという共通點で兩國人は何の文化的な差異を感じないまま、その場だけでは一つになったのである。こうした上巳節民俗の類似性により、國境を越えた友情の場を作ったことがあった。これを確認させてくれた朝鮮の知識人の記錄は、まさに大事な意義を持っていると言えざるを得ない。
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