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논문 기본 정보

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학술저널
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저널정보
동아시아일본학회 일본문화연구 일본문화연구 제5집
발행연도
2001.10
수록면
223 - 244 (22page)

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日本の「近代文學」は「告白」の形式とともに始まったといった柄谷行人氏は、花袋や藤村が「告白」をはじめる前に、すでに「告白という制度」つまり「內面」を作り出すような轉倒が存在していたと述べているが、私は彼らと同じ時代を生き友いていく漱石という作家も「告白」と關わっての樣ざまな發言をしているところなどを見ると、結局「告白という 制度」からすべて自由な立場ではなかったと思っている。
さらに、日本の近代文學史のなかでは、「自然主義文學=リアリズム文學」という等式が成り立っているようだ。それに、自然主義文學が「告白する」という文學行爲を中心にし て展開していったため、自然主義文學=「告白文學」というふうに理解されている。このような認識は激石が自分の傳記的事實から多くの材を取って製作したという『道草』を讀んでいく上にも必ず「自傳的小說」と言われ大きな影響を及ぼしているのである。ただ漱石文學の場合、「告白」にかかわっての文學方法は、「寫生文」を中心として進行してきた、いわば漱石的リアリズムの一部を占めているのを記憶しておくべきである。
私は、このような現狀を認めた上で、「第一章夏目漱石」と「告白」の問題」では、漱石の
なかで「告白」とがう宅のはどのように受け止められ變容されていたかを、具體的な材料を提 示しながら考察してみたが、結果漱石の「告白」に關する認識は、時期別、つまり自然主義文學が盛んになってくる前後にはかなりの落差が生じている。そこで何が「告白」に關する漱石の認識をそんなに變えたのかを探ったのである。それから「第二章「告白」の本質と『道草』の方法」では、 「告白文學」の白眉と言われるアウグスティヌスの 『告白』を通して
「告白行爲」はもともと「神」あるいは「神」的存在を强く意識しながら行われていたことに注目し、『道草』における健三の「告白」あるいは自己省察はどのようなものとして見受け られるのかを考察した。また『道草』の文學方法としては「繼續中」という言葉を見い出す『硝子戶の中』「30」の世界を、漱石はしっかり形象化していると確信している。
最後に、私は『道草』を、漱石の自傳的小說として讀むべきではなく、「自己經驗」を一つの例として展開した漱石の「人間論」として見るのが妥當であると結論付けたのだ。

목차

Ⅰ. 서론

Ⅱ. 본문

Ⅲ. 결론



日本語要旨

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