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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
노성환 (울산대학교)
저널정보
대한일어일문학회 일어일문학 日語日文學 第54輯
발행연도
2012.5
수록면
391 - 412 (22page)

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本考は現場調査を通じて愛媛地域の朝鮮捕虜に?する資料を?掘した結果をまとめたものである。この地域の朝鮮捕虜は主に松山,大洲、宇和島のような城下町に集中していた。それらを簡?に要約すると次のようである。一番目松山地區である。ここでは朝鮮捕虜の集?居住地の唐人町があり、そこには朝鮮人の末裔と予想される百?魚文、また藩士の中では朝鮮女人の息子佃十義がいた。そして石手寺には朝鮮から持って行った地藏十王?もある。二番目大洲と砥部地區である。大洲には?國した儒學者姜沆がいた。彼はそこで出石寺の僧侶快慶との文化的交流をしたし、京都に滯在した際には藤原惺窩などに朝鮮の儒學を?えた。それで大洲には彼の記念碑が立てられている。また大洲には朝鮮から持っていった物も多い。出石寺の朝鮮鐘,朝鮮王子の衣服と鐘,臨海君の扇子などがいまだに?わっている。一方砥部は朝鮮陶工の末裔たちが?物技術を?受した所であった。三番目は宇和島と今治地區である。宇和島には朝鮮人の血を受け繼いだ大隆寺の襄天がいた。彼は大本山妙心寺の324代住職になった人物でもあった。今治の村上水軍資料館では村上水軍の頭の側室になった朝鮮女人がいた。姜沆は?國したが、多くの人?はそうではなかった。それに?して姜沆は倭人化になって?る?がないと批判しているが、彼らにはそれなりの特別な事情がある。たとえ?國しても故國に生活の基盤がない人やすでに日本人と結婚して家庭を成し遂げた人は?國することが簡?ではない。また主人が手放さない事例もある。日本側も?爭によって多くの犧牲者をだすことによって生じた人力不足を朝鮮捕虜たちが相當の部分を補っていたからである。こうした要素が彼らの?國をもっと難しくする要因となる。こうした事情は他の地域でも當てはめられる。?って壬亂捕虜の硏究は地域の範?を?げて新しい資料?掘に力を注ぎ多角的にアプロ?チする基盤を作る必要があると思われる。

목차

〈要旨〉
1. 머리말
2. 마츠야마의 조선포로
3. 오즈와 도베쵸의 조선포로
4. 우와지마와 이마바리의 조선포로
5. 마무리
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