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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
노성환 (울산대학교)
저널정보
대한일어일문학회 일어일문학 日語日文學 第48輯
발행연도
2010.11
수록면
341 - 358 (18page)

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山口縣の深川と須佐にも朝鮮系の陶工たちがあった。長門の深川は李勺光系の朝鮮陶工と日本陶工たちが成し遂げた陶窯地で草創期には李勺光の子孫の山村家を始め?崎家, 赤川家, 坂倉家がいた。しかし山村家は連續的な不幸な事件に?き?まれ途中で斷絶され、?崎家は出雲に移住し?山?を起すが子孫がいなくなり、自然に斷絶されてしまった。現在は赤川と坂倉系だけが?っている。赤川系は山村家の弟子で深川では一番古い陶工の家である。彼らは途中で武士の身分になるために田原と新庄という名字に?えるが、李勺光に習った技術を家業として今日まで?承している。そして坂?系では坂倉新兵衛, 坂田泥華、新家坂倉の窯がある。彼らは日本系であるが、歷史性と技術の傳統性を强調するために李勺光を始祖にしている特徵を見せている。特に深川の朝鮮陶工の末裔たちは他地域にも技術を傳播した。それが出雲、長府、?島、岩?の御用窯である。藩の命により招聘されそこで直接製作するか、それとも深川に派遣されて?た人に傳受させることによって出?た窯であった。それに比べて須佐はあまり知られていない。そこに定着した朝鮮系の陶工には土谷家と坂本家がある。前者は壬辰倭亂以前に唐津から入った朝鮮陶工で, 後者は坂家の出身で益田家の要請で定着した朝鮮系陶工である。彼らは日本系の伊藤家、?藤家と共に須佐の陶窯地を維持してきた。ところが近代に入り不況に襲われ殆んどの人?は家業をやめ現在は土谷家が唯一に命脈を維持している。このように山口?には萩以外にも深川と須佐という地域に朝鮮系の陶工たちが今も健在している。

목차

〈要旨〉
1. 머리말
2. 후카와의 조선계 도공
3. 스사의 조선계 도공
4. 맺음말
참고문헌

참고문헌 (1)

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