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저널정보
한국일어일문학회 일어일문학연구 일어일문학연구 제101권 제2호
발행연도
2017.1
수록면
107 - 129 (23page)

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2000年代以降、靖国神社に参拝する首相たちは「文化相対主義」の立場にもとづいて自らの行為の正当性を主張した。靖国神社に参拝するのは、日本の伝統や文化に従って行なう追悼行為なので、批判の対象になれないという論理である。こうした汎用な文化相対主義がいわゆる「靖国問題」と結びつけて語られる事例を遡ると、戦後日本の代表的な文化保守主義者である江藤淳の「生者の視線と死者の視線」(1986)という文章に遭遇することになる。ここで江藤は首相の靖国神社参拝をめぐる問題は政教分離を規定している憲法を違反するのかどうかにあるのではなく、何より日本の文化のなかで生者が死者をいかに対してきたのかいう側面から考えるべきだと述べている。彼の取り上げる日本文化の核というものは、生者のもつ「死者への共生感」である。ところが、この江藤の主張が特別なのは、文化相対主義という立場というより、日本文化の歴史に対する独特な語り方にあるように思われる。彼は靖国神社参拝の問題が1946年に成立した戦後憲法にとらわれている現状を厳しく批判する。その代りに靖国神社の存在意義を古代文学のなかで表現されている生者の死者への共生感という観点から考えることを要求する。このように、彼は「戦後」という時間を「古代」にその起源をおく壮大な時間に取り替えているといってもよかろう。これは一見深層的な歴史に対する江藤の関心を示しているようにみえるが、実はこうした長い時間のなかで存在していたはずの多くの異質的な事件は意味を喪失せざるをえない。「虚構」にもとづいて拡張された歴史が「事件としての歴史」を駆逐しているのである。このような歴史の語り方は、彼の戦後史に対する認識にも見られる。江藤にとって、戦後日本は占領期の検閲政策によってゆがめられた「閉ざされた言語空間」にすぎず、また靖国問題をひたすた「法理」の問題として裁断する官僚によって統制される「擬似現実」として見なされる。江藤は占領期の検閲という起源に執着することによって、戦後と呼ばれる時間の内部を満たしていたはずの異質的な力と言説が競合しまたは交差するなかで立ち上がる「事件」の存在を除去しているのである。

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